服従と支配のSM関係の女奴隷達は安直にご主人様を信頼し愛してしまうところがあります。

「愛」を求める事はいいのですが主従の契りを結ぶだけで「愛と信頼」を獲得し たと思い込んでしまう。或いは「愛と信頼」があるから主従の関係を結んだんだ。 と、思いたがっている。 そんなに簡単に「愛と信頼」が構築できるのでしょうか。

「愛と信頼」をSMをする条件のように言っていますが、果たしてそうでしょう か。 「愛と信頼」を唱えている多くのHPが6ヶ月程度で閉鎖されていく現実。6ヶ 月程度でご主人様が変わっていく現実を見るとどうしても懐疑的になってしまい ます。

私はSMをするというのは嗜好だと常々思っております。そういう嗜好を現実に 味わいたいという欲望だと思っています。欲望を果たしたいという思いが先で「愛と信頼」はその結果だと思っているのです。 だから嗜好の一致する相手を求めるのであって、「愛する」相手を求めるのはナ ンセンスであり偽善なのです。

女性は欲望を前面に出す事に抵抗があることは承知しています。でも「愛」とい う綺麗な言葉で繕うと本質を見誤ります。 表のノーマルの世界でしてきた偽善的関係では満足できないから、このSMの世 界に本質を求めて彷徨っているはずなのに、ここでも偽善ぶっていては表と同じ あやまちを繰り返す事になります。

誤解して頂きたくないのは、決して「愛と信頼」を否定しているのではありませ ん。むしろそれをもっと大事に扱いたいのです。 6ヶ月程度で壊れてしまうような「愛と信頼」をHPで喧伝されたのでは、SM を彷徨う者達にSMをすれば誰でも手に入るものだと言う幻想を抱かせる弊害が あるだけです。 「愛と信頼」は条件ではなく、あくまでその到達点なのです。

到達点への道は険しく、いばらの道です。だれでも到達点に行けるとは限らない のです。 だから私は相手に「愛と信頼」を約束しないのです。 私はお互いの被(加)虐的欲望をぶつけるところから禁断の扉を開こうとするの です。

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