包む、折る、縛るは、日本人が最も得意とする分野である。それは日本人の生活様式を見渡せば至る所に存在すると気づく。
緊縛も又日本人が構築した文化様式である。一本の縄が多元的に変化する。この、小の中に多を見出す発想力こそが日本人の英知である。

白く豊満な肉体が緊縛される事で、濃厚な雰囲気を醸し出す。
世に緊縛美というものが存在する。女体が縛られる事によって独特のエロチシズムを醸し出す事をさす。女体の自由を奪う事によって得られる妄想の肥大。

緊縛された女性を美しいと感じた瞬間から、緊縛の虜になる。

私が最初に見た緊縛映画は、緊縛の女王と言われた谷ナオミであった。
その衝撃の姿は、私の脳裏から離れる事はないだろう。

ご存じSMの女王の異名を持つ伝説の女優。
1960年代から100本以上の映画に出演した芸歴はピンク映画の歴史そのもの。
日活ロマンポルノの初期から引退する79年まで団鬼六原作のSMもので一世を風靡した。
元日活ポルノ女優。元祖SMの女王。

「あぁぁっ。お、お願い。も、もう。。。」

官能の雫をすうっと吸い込む麻縄は使い込むほどに女の肌に馴染む。
女の汗を吸い取り、蜜を吸い取る。

吸い取られるのは汗だけであろうか。
蜜だけであろうか。
逃れられぬ苦痛と快楽の狭間で身悶えする女の情念さえも縄にやどるのではあるまいか。

縄は吸い取る。
秘めた欲望と快楽を。
欲望のすべてを吸いつくした縄は、てらてらと悪徳と官能の光を帯びる。

「では、手を後ろに回してもらおうか」
女を後手に縛る。
自由を奪い嬲る。

「ではそろそろ、恥ずかしい部分を見せてもらおうか」
女を開脚に縛る。
「まさか、濡らしてなどいないだろうな?」
「あぁぁっ。い、いやっ。。見ないでっ」
足を閉じることのできない女は羞恥に身悶えする。

鞭を打つ時、縄は女を逃げさせまいとするが、鞭の連打からわずかに女の身を守りもする。
緊縛された女をひたすら快楽責めにするのも良い。
秘部をさらけ出させる恥ずかしい苦悩も縄で与える。

縄は女の美を際立たせ、包み込む。
苦痛を与え、安定を与える。
囚われの中で、悶え、濡らす。
縄に囚われた女は美しい。。。

上手く縄を使い、上手く女を仕込めば、女は緊縛されるだけでアソコを濡らすようになる。
私は、裸体よりも緊縛された姿態を美しいと思う。
それ故に、縄にはこだわっている。

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